沿革

県下で最も古く輝かしい伝統を誇る学校で、真宗高田派本山専修寺に「勧学堂」の額を掲げてから210余年になります。また、県下で最も早く中高一貫制を導入し、建学の精神に基づいた教育により、優れた人材を輩出しています。

大正以前
寛保元年
(1741年) 本学苑は真宗高田派専修寺末寺僧侶の研修道場として、専修寺第17世円猷(えんゆう)上人が本山学寮で宗典講義をされたことに始まる。
寛政8年 (1796年) 勧学堂を創立する。
寛政9年 (1797年) 第18世円遵(えんじゅん)上人が講堂に勧学堂の額を掲げられ、教場が整えられた。
明治4年 (1871年) 専修寺内に貫練場を創立し、末寺子弟に仏典、漢文を教え明治5年(開校の年とする)以後一般子弟も収容した。
明治9年 (1876年) 貫練場を貫練教校と改称し、歴史、地理、数学、博物、理科の一般教科を加える。
明治11年 (1878年) 貫練教校に附属小学校を併置する。
明治13年 (1880年) 校舎を新築する。
明治21年 (1888年) 附属小学校を廃止、尋常中学校とする。
明治28年 (1895年) 貫練教校を真宗勧学院と改称し、中等科及び高等科を置く。
明治30年 (1897年) 火災のため校舎が焼失し、翌31年現在地に校舎を新築する。(1月13日起工)
明治32年 (1899年) 5月4日に新築した校舎の竣工式典挙行。この日を創立記念日とする。
明治33年 (1900年) 私立学校令による私立中学校として知事の設置認可を得る。
明治37年 (1904年) 専門学校令による高等科設置の認可を得る。
大正11年 (1922年) 財団法人真宗高田派教育財団の設立認可を得る。